最近ヤフーニュースで取り上げられていたことから知ったこの言葉。
NEWS WEEK 日本版ネット時代の子供の間で広がっている「ポップコーン脳」...学校も手をこまねく問題は「書くこと」で防げる<3~4行といった短い文章さえも上手に書けなくなる「ポップコーン脳」とは何か。デジタル時代にこそロジカルに「書く力」が重要な理由について> ハーバード大学で150年以上も受け継がれているライティングメ...
文献は難しくて私の弱い頭では理解しきれませんでしたが、要はポップコーンが弾けるように興味があちこちに散らばってしまう。長文を読みとれず、短文を書くことができないらしい。
本屋に行くたびに(といっても私は漫画メインですが・・・)店頭に並んだ本のタイトルが気になって、去年購入し呼んだ本。
前置きが長くなりますが、
私が独身の頃の先輩の話。当時4歳になった長女に動画閲覧のためにタブレットを与えたら、攻撃的になった。タブレットを取り上げたら落ち着いたと。その話を聞いて、何となく「自分の子供にはタブレット系を見せるのはやめておこう」と思っていました。
そして私自身が出産。当時、「スマホ育児」が話題になっていました。(もっと前からかもしれませんが)子供にスマホを見せることはしませんでした。影響がどうのこうのというより、単純に目が悪くなりそうだから。けれども初めての子育てで分からないことが多く、スマホで検索する毎日。子供にスマホを直接見せていなくても、親がスマホを見ている姿を子供は見ていました。結果、スマホに強い興味を示すようになりました。
私がスマホを触っている時、子供がそれに興味を持てばやめるというのを繰り返していました。TVも見せることは少なく、「見たい番組を見たら消す」としていました。ただ私が頑張っていても無駄にする出来事が。
それは主人。子供を任せて出かけることは非常に少ないのですが、たまに子供を任せて出かけると、帰宅すればTVはつけっぱなし、子供は主人の携帯でYouTube。それが何度か続き、TV、YouTubeの楽しさを覚えてしまいました。
そしてある日、我が家にアレクサがやってきました。引っ越しの為、年に1-2度しか会えなくなった両祖父母の姿を忘れないように、画面越しで会話するために。
アレクサがやってきて便利にはなりました。簡単に電話がかけられる、話しかけるだけで教えてくれる(全く斜め上の返答もありますが)、タイムキーパーになってくれたり、音楽を流してくれたり。色々と役立っている中、ついに子供達はアレクサでYouTubeが見られることに気が付きました。
そこからは想像に難くありません。YouTube漬けです。帰宅後すぐに「アレクサ、YouTube!」
あまりに酷かったので、ある日YouTube禁止にしました。
すると怒り狂う我が子達。そして喪失感からか、何もしなくなりました。全く何もしなくなったという極端な話ではありませんが、子供達なりの抵抗ですね。そして、ちょっとしたことで怒る、拗ねる。思い通りにいかなかったら、リセットするかの如く壊す。先輩の話の通りになったのです。
TV、YouTubeが悪ではありません。目的をもって見られないことが私は良くないと思っています。片付けも着替えも何もやらずにすることが良くないと思っています。
目的が「YouTubeを見ること」「TVを見ること」で、どのコンテンツを見るか、どの番組を見るかではない。それが問題だと思っています。
デジタル機器とのかかわり方に悩んでいた時、冒頭の「スマホ脳」を読みました。実体験と重なることが多く、納得させられる、考えさせられることが多かったです。
人間は本来、狩猟民族。刺激(危険な動物)に敏感に反応しなければ生き残れなかった。その刺激を小さな画面上で、簡単な動作で短い動画で、次から次に与えてくれる。読まなくてもいい、映像を見るだけでいい。考える時間なんてない、だって次の画面が待っているから。
そんな道具に、未熟な子供達の脳が夢中にならないはずがない。その結果奪われる時間、読む力、考える力、想像する力。
そしてそれは子供達だけではない。大人もしかり。マルチタスクができる人間はごくわずかでほとんどの人間はできない。スマホが視界に入るだけで、興味はそちらに向いてしまう。目の前の相手と話をしているようで、スマホが鳴らないか、画面が気になって仕方ないので、相手の話や姿は記憶には残らない。
このスマホの影響がポップコーン脳を作り出すのでしょうね。
長文を読むのは、忍耐力、想像力、思考力が、短文を書く力はそれらに加えて運筆力、記憶力、再現力が必要だと考えています。
本好きでなければ、長い文章を読むのは大変です。私は興味の持てない話や合わない文章は読みにくく、最後まで読み進めるのに気力がいります。描かれている世界を頭の中で思い描いたり、書かれている内容を自分にあるいは何かに当てはめて考えたり、持っている知識とすり合わせたり、筆者の伝えたいことを読み解いたり。それらを本を読みながら行う集中力。これがデジタル機器に触れすぎていると培われないのかなと思います。
PCに向かってあるいはスマホに文字を打ち込むのでは運筆能力は育ちません。現に私は小学校の頃、HBが普通で、2Hを使うこともありました。今、小学生は2B~4Bです。短文を書くには単純に鉛筆を動かすこと、そして次に書いた、見たことのある文章を再現する、自分独自のものにするために再現した文章を経験や記憶に基づいて変更を加える。
これは子供達が幼い頃から少しずつ習得していくもので、その時間をデジタル機器に奪われていた結果、ポップコーン脳が完成するのかもしれません。
子供の脳は柔軟です。親が、周囲が気づき少し変えるだけで変化する可能性も大いにあります。
デジタル機器が扱えないことも、有名なコンテンツを知らないことも、子供のコミュニケーションに何かしら害があったりするかもしれません。子供が不自由しない程度にデジタル機器に関わらせてあげたい一方で、それがないと子供達が落ち着かない場合もあるかもしれません。静かにしてほしい時間や落ち着いてほしい場所でデジタル機器なしで過ごすのは、親の忍耐と努力、周囲の寛容な姿勢が必要です。
残念ながら現在の日本は子育てに寛容な社会ではないと感じています。実際3人の子供を育てていて、優しい眼差しや声かけをいただくこともありますが、冷たい視線や優しさを感じない言動も多くあります。
日本人は周りの目を気にする国民性と言われます。子育て世代はそうした周囲の空気を感じて、デジタル機器に頼らざる負えない部分もあるかもしれませんね。何はともあれ、色んな意味で子供が今と将来、困らないように一定の節度を持ったデジタル機器へのかかわり方を考えていきたいです。
長々と思っていたことを書いてみました。乱筆乱文失礼いたしました。最後まで読んでいただいてありがとうございました。
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